【流山市】視覚障害者協会の定例会で出会った中沢さんーその①

【流山市】視覚障害者協会の定例会で出会った中沢さんーその①

こんにちは!
生まれも育ちも流山、スペシャリストのスガコウタロウです。
流山市の視覚障害者協会の定例会で出会った治療院を営む中沢さんのお話です。
(流山市視覚障害者協会では、当事者や支援者が集まり、日常生活の工夫や経験を共有する定例会が行われています。)

 

究極に行動派な人は、どんな人格になり、どんな人生観になるのか

生まれつき全盲。祖父の代から流山市本町で商売をしてきた家系に生まれ、いまは地元で治療院を営む中沢さん。

世の中には、ときどき「行動力がある人」がいる。

でも私が出会った中沢さんは、いわゆる“行動力がある”という言葉では足りない人だった。
もっと正確に言うと、思考より先に、身体と設計が動く人だ。

しかも面白いのは、本人は別に「社会のために」とか「理想の人間像」を目指しているわけではないこと。
むしろ自己評価は、「群れない」「喧嘩しがち」「社会性は高くない」。

それなのに、話を聞けば聞くほど、現代の教育や組織が「こういう人が育ってほしい」と願っている要素を、ほとんど全部持っている。

この矛盾がずっと気になっていた。

最初に驚いたのは、生活の話だった。

目が見えないのに、いや、目が見えないからこそ、台所まわりの工夫が異様に具体的で、合理的で、そして明るい。
IH、ノンフライオーブン、レンジで使える土鍋、野菜をレンジで茹でる二層式の容器。
それぞれを「目が見えない自分にとってどれが使いやすいか」で試して、選んで、運用している。

調味料の形が変わると困る、という話もそうだ。
見える人にとっては「塩は塩」でも、見えない人にとっては“形”は情報そのものになる。だから同じ容器を使い続ける、あるいは詰め替える。

ここで私は、はっとした。

これは“便利グッズ好き”ではない。
自分の生活を、自分で設計している人なのだ。

しかも本人の口から出てきたのは、「自分が安全のため」だけではなく「周りが安心するから」という視点だった。
実際には当事者の方がよほど慎重なのに、周囲の不安を先回りして設計を変える。

この時点で、すでに私は混乱していた。
“自分勝手そう”に見える人が、めちゃくちゃ周囲を見ている。

その構造がはっきり見えたのが、マラソンの話だった。

若い頃、「冬どうする、走るか」という流れで走り始め、やがて青梅マラソンへ。
周囲の大人たちの「安全は大丈夫か」「本当に出せるのか」という抵抗もあったが、最終的に走ることになる。

ここで私が刺さったのは、美談ではない。

彼の言葉の端々には、ずっと同じ感覚がある。

「失敗は、自分ひとりの失敗では済まない」

自分が無責任に突っ込んで失敗すれば、「やっぱり危ないじゃないか」となって、次の人の道が閉じる。
だから、やるなら完走する。やるなら準備する。やるなら迷惑を最小化する。

ここにあるのは、優等生的な“協調性”ではなく、構造への責任感だ。

そして、私がいちばん痺れたのが、あの縄跳びの話である。

次のレースを見据えて、伴走者もいない。練習環境も整っていない。
「じゃあどう練習するか」と考えたとき、テレビでボクシングを見ていて思う。

「ボクシングか。あ、縄跳びだ」

ここまでは分かる。
でも次が違う。

縄跳びを50本買ってくる。

私はここで笑ってしまった。最高すぎる。

普通は3本とか、せいぜい予備を入れて5本だろう。
でもこの人は、切れたら困る、やると決めた、完走したい、じゃあ先に50本用意する、という順番で進む。

この感覚、私は大好きだ。
なぜなら、ここには「根性論」がないからだ。

気合いで頑張るのではない。
やると決めたら、続くための環境を先に作る。

しかも彼は、縄跳びを始めたら思った以上にできなかった。子どもの頃は得意だったのに、息が上がる。悔しい。
そこでやめない。

「じゃあ60回を6セットから始めよう」
「できるようになったら増やそう」
「千回できるようになったら、今度はまとめて千回飛べるようにしよう」

この分解と積み上げが、すでに“行動派”というより研究者のやり方だ。

結果、数千回飛べるようになる。
しかもそれを笑い話みたいに語る。

ここで私は、「究極に行動派な人」の正体が少し見えた気がした。

こういう人は、性格がいいとか悪いとか、そういう分類ではうまく掴めない。

人に期待していないから強い、という単純な話でもない。
むしろ話を聞いていると、かなり周囲を見ているし、失敗の影響も読んでいる。

ただ、普通の人と決定的に違うのは、

不安を、考えて処理しない。動いて処理する。

ということだ。

私たちはすぐに考える。

失敗したらどうしよう。
どう見られるだろう。
迷惑じゃないか。
自分にできるのか。

もちろんそれは大事だ。
でも考えているうちに、行動の熱が冷める。

一方で彼は、もちろん不安がないわけじゃない。むしろかなり慎重だ。
ただし慎重さの出し方が違う。

– 先に環境を整える(縄跳び50本)
– 失敗しないように分解する(60回×6セット)
– 本番で迷惑をかけないように準備する(完走前提で設計)
– 無理をしない(心臓病が分かってからは“無理はダサい”に更新)

つまり、慎重なのに行動が止まらない。

究極に行動派な人は、立派な人というより、
自分の生き方を自分で設計し続ける人なのだと思う。

そしてその設計の中には、意外なくらい他人への配慮が入っている。
ただそれは、“いい人でいたい”という配慮ではなく、
「自分の行動で道を壊したくない」という配慮だ。

縄跳びを50本買う。

あの50本の中に、この人の人生観が全部入っている。

やると決めたら、続く前提で準備する。
できないなら、できる単位まで分解する。
誰かのせいにしない。
でも、どうしても無理なところは助けてもらう。
そして、やるからには次の人の道を狭くしない。

教育の言葉に直せば「主体性」「実行力」「自己管理」「公共性」になるのだろう。
でも本人はそんな言葉で生きていない。

ただ、今日も元気に、やれることをやる。

たぶん、究極に行動派な人の人格とは、そういうものなのだ。

おおたかの森ファーム株式会社

視覚障害者協会

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おおたかの森ファームスガコウタロウ

東京工業大学工学部を卒業後、工業デザイン事務所にてデザイン業務を経て、家業である税理士事務所に入社。そのノウハウを生かし経営コンサルティング おおたかの森ファーム株式会社 を設立。ボクシング好きの三児の父。

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