日本のサッカーは、1970年メキシコオリンピックで銅メダルを獲得し脚光を浴びたが人気は長続きせず、
人気、実力ともに長い低迷期に入った。そして日本のプロサッカーリーグ、Jリーグが開幕したのは1993年5月。
長年の夢だったワールドカップ出場に手が届きそうだったのが同じ年の10月。「ドーハの悲劇」が起こった年だ。
サッカー人気が高まる中、当時10歳くらいのサッカー少年が今40代に突入している。
そんな世代が元気に走り回っているのがシニアサッカー(40才以上)だ。
そのシニアサッカーを池田で創成期から長年運営してきた「北摂シニアサッカー友好リーグ」の事務局のお二人に
お話を聞きました。
北摂シニアサッカー友好リーグの歴史
北摂シニアサッカー友好リーグは2001年に発足。現在13チームで23期目のリーグ戦を行っている。
なんとかコロナ禍もやりくりし運営を継続、この運営手腕に事務局の平山さんは自信を見せる。
シニアサッカーが徐々に盛り上がりを見せ始めたのは1990年代中頃。
大阪府民スポーツレクリエーションフェスティバルのプログラムの一つで壮年サッカー大会が
開かれたことを機に、徐々に各地で交流試合や招待試合が開催されるようになった。
そして2001年、「北摂シニアサッカー友好リーグ」が設立された。
当初は6チームが参加、参加資格年齢は35才以上、35分ハーフの70分で行っていたが、
各チームの年齢が上がるにつれ、参加資格年齢も38才以上となり現在は40才となった。
試合時間も現在25分ハーフの50分に。
状況に合わせ柔軟に対応していくのが、このリーグが長続きする秘訣だ。
運営ノウハウの進化
リーグ発足当初は苦労の連続だったが、参加者の意見を聞きながらブラッシュアップを繰り返した。
試合時間、審判の割り当て、ローカルルールなど選手が気持ちよくプレーできる工夫を重ねてきた。
現在はフェアプレー賞という制度があり、危険なプレーやユニフォームの不備などで減点することも。
勝敗だけでない表彰制度も設けることで、それぞれのチームが盛り上がることもあるそう。
思いは「40OVERのサッカー愛好者にプレーの場を提供すること」と「地域の盛り上がりに貢献すること」。
こだわりとして参加チームには必ず地域名を入れることを義務づけている。
フェルテ池田、箕面ホーリン、アリエントス吹田、渋谷ユナイテッド、打出浜FCなどなど。
まるでJリーグの縮小版が開催されているようだ。
今後の目標
現在は13チームだがいずれは16チームにして、一日8ゲームで前後期各1試合の総当たりにすることが当面の目標。
戦績はやはり40代前半の選手を揃えた若いチームが優位だが、50代、60代が参加し奮闘しているチームもある。
以前各チームの出場機会が少ない50代が集まって、懇親ゲームを組んだこともあったがケガ人が出て中止した。
しかし今では、日本サッカー協会主催の50オーバー、60オーバー、70オーバーの全国大会も行われている。
いずれは50オーバーのリーグも視野に入れている。
事務局は基本ボランティア。グラウンド整備やライン引きなど肉体的な負担もかなりあるが、
これからもシニアサッカーの発展に貢献していきたいとのこと。
シニアでサッカーを再開したい方、現役40代プレイヤーでチームを探している方などなど
ホームページを検索して一度ご見学にどうぞ。
ベンチには事務局の方がいらっしゃるので訪ねてみてはいかがでしょうか?
北摂シニアサッカー友好リーグ会場(猪名川運動公園サッカー場)
- 池田市桃園2丁目1782−1
※メイン会場。土のグラウンドだが洪水のたびに土を入れ替えていてコンディションはグッド。
花屋敷グラウンド
- 兵庫県宝塚市花屋敷荘園4丁目2−35
※年2回ほど人工芝グラウンドで開催
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この記事を書いたのは…
ジモトミンM’ckirie
約20年箕面に住んでいました。現在は宝塚住民です 小学校から高校まで市内の学校に通学。 青春時代を過ごした箕面を中心に北摂の魅力を自分自身再確認しながら寄稿していきます!