【松戸】パンにまつわるエトセトラ_2

【松戸】パンにまつわるエトセトラ_2

順番からいくと「あのパンの作り手」シリーズを載せたいところなのですが…急激な状況変化で飲食物を扱うお店にお話を伺いに行くのもはばかられたため、少し時期を改めることにしました。

そういったわけで「パンにまつわるエトセトラ」、予告通り「パンをなぜ『パン』と呼ぶのか」について書いていこうと思います。

結論から申し上げると、一般的には、日本であの食べ物を「パン」と呼んでいるのは、「初めて日本に入ってきたのはポルトガル船漂着の時だったので、ポルトガル語の『pao』(パオ)を語源としている」とされています。

ですが、私にはここに2つの疑問があります。

1つ目は、あの食べ物が「日本に初めて入ってきた」のが「ポルトガル船漂着の時」だったのかどうか、です。あの食べ物は、メソポタミアと呼ばれる地域で小麦の栽培が始まり、それをどう食べるか人類が模索する中で誕生しました。もともとは粒のまま水を加えて煮て、いわばお粥のような状態にして食べていたのですが、やがて人類は小麦を粉状にして水を加えて団子状にしたものを焼いて食べるようになりました。これは私の想像ですが、鍋で煮た後にふちにへばりついた粥が乾いてぺらっと取れてきたのを見た誰かが「熱を加えたものが乾燥すると固まる」ことに気づいたからでしょう。ということは、もう少し水分を減らして粉の塊を作って熱を加えたら…その方がすぐ食べられる状態で持ち歩きや保存ができて便利ではないか、と考えたのでしょう。21世紀の現代、ガスや電気でスイッチ一つで火が付くこの時代でも3回の炊事が少し面倒に感じてしまうこともありますよね。火を起こすところから炊事が始まる紀元前に1回作れば数日主食を作らなくていいというのはまさに革命的な発明だったに違いありません。

[松戸:ぶんぶんベーカリー]パンが誕生した当初は無発酵な食べ物、このように膨らんでいることはありませんでした。

[松戸:ぶんぶんベーカリー]パンが誕生した当初は無発酵な食べ物、このように膨らんでいることはありませんでした。

そして、小麦の栽培法と共にエジプトに伝わり、偶然生地が発酵したことをきっかけに「発酵パン」へと進化します。そしてその「発酵パン」が地中海を渡ってギリシャに伝わり、古代ローマ軍に捕らえられたギリシャ人がローマに伝え、ローマ帝国の勢力の広がりとともにヨーロッパで普及していきます。

アジアに伝わり、熱の加え方が「焼く」から「蒸す」へと変化したものが、中国の「マントウ」で、それが日本に伝わったのは鎌倉時代でした。ポルトガル船が種子島に漂着したのは室町時代(1543年)、その300年ほどまえに既に日本にあの食べ物は伝わっていたことになります。

「はじめて伝わった」時が異なるのでは?という疑問とともに、はじめて伝わった時の名前が現在の名称の語源になっているというのであれば、あの食べ物は「まんとう」と呼ばれていても不思議ではないはずでは?というのが最初の疑問です。

[松戸:piyopiyoBakery]クリームパンのようにフィリングを生地で包んだ菓子パンは日本発祥です。

[松戸:piyopiyoBakery]クリームパンのようにフィリングを生地で包んだ菓子パンは日本発祥です。

二つ目は、あの食べ物の普及について考えたときに芽生えました。

あの食べ物は、鎌倉時代に伝わったかもしれませんが、日本の食文化の中で主食的なポジションで市民権を得たのは確かに室町時代以降だったかもしれません。ただし、広く日本人にとってではなく、日本においてキリスト教を信じるかなり限定された人々にとっての主食でしたが。

キリスト教との結びつきが強かったために、その後豊臣秀吉によって布教が禁止され、さらに徳川家光によって信教が禁止されるとともに日本の食文化からあの食べ物は一旦姿を消していきました。再び登場したのは江戸から明治になる頃、江戸幕府が鎖国を解いて港を開いたことをきっかけに外国との交流が始まり、明治政府が近代化を押し進める中で多くの外国人が日本にやってくるようになりました。彼らが多く住まいを構えた港町には当然あの食べ物を扱う店も誕生していきます。

江戸幕府は諸外国の中でも特にフランスを手本にしていましたが、倒幕の末に明治政府を樹立した薩長が手本としたのはイギリスでした。なので、はじめはあの食べ物もヨーロッパタイプのバゲットのようなものが主流でしたが、やがてイギリス風の型焼きパン、つまり現在の食パンタイプのものが取って代わります。いまでも日本人がそのタイプのパンを好んで食べるのはこうした影響もあるかもしれません。

こうしてイギリスに大きく影響を受けたはずの日本で、あの食べ物をイギリス風に「ブレッド」と呼ばず、最初に認識した時のポルトガル語を語源とする「パン」と呼び続けているのはなぜなのでしょう?日本人が保守的だったからなのか、ブレッドよりパンのほうが発音しやすかったからなのか、不思議に思わずにはいられません。

結論は早々と出ていたにもかかわらず、長くなりました。疑問は解消されないままですが、まずはこのあたりで終わろうと思います。

次は「パンの正しい保存法は?」について書きたいと思います。

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パンコーディネーターAD福地 寧子

一日3食、年間1095食以上パンを食べ続けて四半世紀を過ぎたパン食人。パンの記事執筆、イベント企画、レシピ提案、講義登壇、メディア出演など、パンのおいしさと楽しさをより多くの人と共有すべく活動中。

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