【堺】音屋組・稲本渡さん<前編>演奏家の未来のために

【堺】音屋組・稲本渡さん<前編>演奏家の未来のために

さまざまな魅力を持つ堺ですが、街の魅力を生み出すものは、やっぱり人!

ということで、堺の素敵な人を紹介します。

登場いただくのは、オーケストラや音楽コンクールの運営、演奏会のプロデュースなどを手がける株式会社音屋組(おとやぐみ)の代表・稲本渡さん。演奏家としても活動しながら音楽の魅力を発信し続ける稲本さんがめざす世界とは?

演奏家×経営者×大学教員

★名門、淀川工業高校の吹奏楽部で部長・コンサートマスターとして全日本アンサンブルコンテスト金賞、全国選抜大会史上初の春・夏グランプリ受賞

★オーストリア国立グラーツ音楽大学を最優秀で卒業

突然ですが、こんなすごい経歴を持った演奏家が、会社の社長さんだったら・・・

「何の会社?」って気になりますよね。

今回ご紹介する稲本さんは、クラリネット奏者として活躍しながら、2015年に株式会社音屋組を設立。最近では「音楽とキャリア」をテーマに大学の教壇にも立っています。演奏家、経営者、大学教員という「三足のわらじ」で活躍するエネルギッシュな方です。

 

音屋組の事業はオーケストラの運営、コンサートや全国ツアーの実施、アーティストのマネジメントなどなど。

大きくまとめると「どうやって音楽で仕事をするか」を追求し、若い演奏家が活躍するチャンスを生み出している会社です。

演奏家が自ら会社を経営して、このような取り組みをするのはけっこう珍しいのですが、稲本さんの原動力はどこにあるのでしょうか。

 

初ステージは5歳

稲本さんの演奏家としての原点は、幼少期にありました。

父は著名なクラリネット奏者の稲本耕一さん。今はピアニストとして活躍する兄の響さんとともに、小さい頃からクラリネットに興味津々でした。

そして5歳のときにクラリネットを弾き始めた稲本さんですが、何とその1週間後に父のステージに立つことになりました。

「父は年間100本近いコンサートで全国を回り、アンコールで兄や私を登場させることもありました。今ではその経験が大きな財産になっています」

その後、吹奏楽の名門として全国的にも有名な淀川工業高校へ進んだ稲本さんですが、意外なことに、「プロになりたい」という気持ちはなかったそうです。

「プロの演奏家に興味はありましたが『そこまで才能はない』と思っていたんです。ただクラリネットは続けたいという思いもあり、吹奏楽部の演奏会を見て魅了された淀工に進みました」

その後、ドイツに留学していた兄の手引きもあり、後に留学先で師匠となる演奏家に出会います。そこで稲本さんの中に「プロになろう」という気持ちが芽生えたそうです。

「その方の演奏はすばらしく、世界でもトップクラスの演奏家でした。そんな方が私の演奏を見て絶賛してくれたんです。

『僕は君に出会うためにクラリネットをやってきたんだ!』

とまで言っていただき、通訳をしてくれた兄も『え?本気で言ってる?』みたいな感じで(笑)。

『そこまで言われるならプロをめざそうかな』という気持ちになり、高校卒業後はオーストリアの大学へ留学することにしました」

音楽家の「自立」に向けて

帰国後は兵庫芸術文化センター管弦楽団のクラリネット奏者を務めるほか、映画や舞台など幅広いフィールドで活躍。そんな稲本さんを「起業」へと導く転機が訪れたのは2012年~13年頃のこと。大阪の行政改革の一環で文化・芸術への補助金にメスが入り、世間でも話題となりました。

「これからは演奏家も自分自身で仕事を生み出す力が必要だ」

そう感じた稲本さんは、かつて父がステージに立たせてくれたように、若いアーティストに演奏の機会を提供しようと考えます。

演奏会を企画してプログラムを一緒に考えたり、営業に行くための資料づくりを教えたりする中で、若手アーティストを育成するモデルが形づくられていきました。

「演奏家は腕を磨くことを何よりも大切にしているので、仕事やお金に対する知識が足りていないことも多いんです。時には税金や確定申告について教えたりすることもあります」

そして2015年、この取り組みを本格化すべく株式会社音屋組を設立することになりました。ちなみに、最初に事務所を構えたのは前回の記事でご紹介した「S-Cube」だそうです。

コロナ禍を経て

会社ができた当初は、堺市内の商業施設やホテルでの演奏会をプロデュースしながら徐々に仕事を広げ、3年目を迎える頃には全国規模の公演を行うまでに成長。経営者としても順調なスタートを切った稲本さんでしたが、そこに大きな試練が訪れます。

商業施設での演奏会

そう、新型コロナです。設立から5年を迎え、ちょうど成長軌道に乗った矢先の災難でした。あらゆるイベントが中止となり、売上は何と98%もダウンしたそうです。

「補助金の助けもあって会社は続けることができましたが、音楽仲間の中には演奏家をやめてしまった人もいて辛かったですね」

しかし、コロナによって改めて気づいたこともあるそうです。

「当時はエンタメ業界もオンライン配信などの新しい形を模索していました。私もいろいろ考えてみたのですが、やっぱり生の演奏が一番だな、と。コロナによって、改めて生の音楽を届ける価値を再認識することができました」

コロナという大きな試練を乗り越え、また現在は大学教員というキャリアも加わり、さらに音楽の可能性を追求する稲本さん。最後にこの先の未来について聞いてみました。

「私の使命は、自分が音楽で受けてきた恩恵を下の世代に伝えていくこと。

幸いなことに、これまで育成に関わってきた若手アーティストたちの多くが活躍し、オーケストラのプロデュースに発展してきました。今後はさらに下の世代のアーティストを育てていけるよう、事業を継続していきたいですね」

吹奏楽コンサートでの指揮者体験コーナー

後編では、地元・堺との関わりや堺への思いに迫ります!

株式会社音屋組

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ジモトミンフーキー

泉北でフリーライターをしています。町の小さな会社や、そこで働く人たちのストーリーを紡ぎながら町の魅力を紹介したいと考えています。泉北が「明るい未来に向かって積極的に挑戦する人」であふれる町になればいいなぁ、などと思いつつ。よろしくお願いします。

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