【豊中】歴史を訪ねてとある神社へ
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遥か昔の豊中には何があったのか。豊中の昔を知りたい方にはぜひお薦めしたいところがあります。豊中市の南西部、神崎川と猪名川が交わる場所に鎮座する神社をご存じですか。その神社とは椋橋総社です。

歴史的なゆかりがある椋橋総社

住宅地の幾分細い道を進んでいくと、突如として大きな鳥居が現れます。それが神社への入り口。鳥居をくぐってまっすぐ伸びた一本道の先には社殿が見えます。その社殿を守るように左右に大きな木が控えています。遠くから神社を眺める景色は独特の趣があって、参詣者を出迎えてくれているようです。

こちらが大きな鳥居

こちらが大きな鳥居

趣のある神社の入り口

趣のある神社の入り口

今年800年目を迎える歴史的な事件といえば

そんな立派な佇まいを感じさせる椋橋総社ですが、ひょっとするとそこには歴史の由来が関わっているのかもしれません。それは1221年に起こった承久の乱です。歴史の教科書にも出てくるこの出来事は後鳥羽上皇が起こした反乱ですが、そのきっかけとなった人物がこの椋橋神社に亀菊天満宮として祀られています。亀菊は後鳥羽上皇の寵姫であったとされる人で、上皇が亀菊に椋橋と呼ばれたこの地を荘園として与えたことで、鎌倉幕府と対立、歴史的な事件へ発展していきました。お気づきでしょうか。そう、実は今年がその節目の年(なんと800年目!)です。

境内には承久の乱800年の幟が。800年を記念したお祭りも予定されていましたが、コロナ禍で見送られました。

境内には承久の乱800年の幟が。800年を記念したお祭りも予定されていましたが、コロナ禍で見送られました。

亀菊天満宮は本殿の左横に祀られています。

亀菊天満宮は本殿の左横に祀られています。

亀菊天満宮の由来を記した立て札です。ここに書かれた荘園「椋橋荘」が庄内の地名の由来となりました。

亀菊天満宮の由来を記した立て札です。ここに書かれた荘園「椋橋荘」が庄内の地名の由来となりました。

豊中の歴史と芸能を知りたい方はぜひ

今ではほとんど知られていない亀菊ですが、江戸時代には歌舞伎や人形浄瑠璃の題材にもなりました。また、かの曲亭馬琴の人気作品の一つ『傾城水滸伝』にも敵役として登場します。後鳥羽上皇の寵愛を受けた亀菊は、この辺りの遊女のような存在だったとも考えられています。古くは『遊女記』を著した大江匡房、さらに能『江口』の舞台にもなった神崎川近くのこの一帯は歴史だけでなく、芸能にも深い関わりのある場所なのです。そんなことを思いながら見てみると、遠巻きに見た景色や神社の佇まいも少し違って感じられるような気がします。
はるか昔の豊中を感じたい方はぜひ訪ねてみてください。

境内には鯉のいる池も。ここには鯉にまつわる伝説もあります。

境内には鯉のいる池も。ここには鯉にまつわる伝説もあります。

椋橋総社

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大阪音楽大学ミュージックコミュニケーション専攻みゅーこ

人と社会をつなぐ音楽の場を企画しています。

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