【吹田】鉄道のまち吹田を実感(後編)

【吹田】鉄道のまち吹田を実感(後編)

 こんにちは。SUITAcolorsのイエローです。初めての長編になりました。「JR西日本吹田総合車両所」のご案内、後編です (*’▽’)。

【吹田】鉄道のまち吹田を実感(前編)はこちら!


歴史未来ツアー

 後編は、参加者限定のプログラムにも参加できたので、この模様をレポートします。
 今回、吹田への移転100周年を記念して、吹田とJR吹田総合車両所がどう歩んできたのかを巡る『歴史未来ツアー』にも参加してきたので、企画の一部をご案内。NHKの有名番組ブラタモリなら、玉手箱から「吹田と吹田総合車両所の歴史的繋がりとは?」と、お題が出てきてスタートですね。

(1)水運から鉄道の時代へ
 まずは、鉄道が敷設される以前の吹田のまちの様子から。今回のツアー案内人さん、実は普段は総合車両所ではたらく社員さん。今回のツアーのために、博物館や吹田のまちを案内する「吹田まち案内人」さんからレクチャーを受けて台本を作製したそう。すごいっ!
 ということで、発掘された土器、江戸時代の水運の話が。鉄道は一体どこで登場するのかと思っていたら、明治9年(1876年)7月に、大阪~向日町間に鉄道が開通し、同じ年に吹田駅も開業したそうです。いよいよ、鉄道が出てきたワクワク(≧◇≦)//

【写真】いよいよ開始。最初は緊張気味な案内人…

【写真】いよいよ開始。最初は緊張気味な案内人…

【写真】ツアー移動中にも、説明あり、気になる参加者はシャッターあり

【写真】ツアー移動中にも、説明あり、気になる参加者はシャッターあり

(2)戦争の爪痕も
 大正時期には、湊町工場(現在のJR難波駅あたり)から吹田へ工場が移転し、客車・貨車修繕を開始。移転の理由としては、①人力から機械設備への移行、②操車場設備も隣接していたこと、があったそうです。
 ちなみに、大正時代には千里山住宅の開発も始まり、北大阪電気鉄道株式会社の軌道が十三~千里山間に開通しています。大正時代に、一気に「鉄道のまち」が形作られたことが良く分かりました。
一方で、当時、東洋一の規模と言われた貨物ヤードの存在もあり、吹田工場も空爆を受け、今もその跡が残されています。イエロー、改めて平和の有り難さ、感じました。

【写真】吹田駅そばのメロード吹田をバックにツアーは続きます。

【写真】吹田駅そばのメロード吹田をバックにツアーは続きます。

(3)阪神淡路大震災での社員の奮闘
 戦後の混乱期を経て、車体修繕場を新築したり、1970年万博では、横須賀線113系スカイブルー限定電車乗り入れ等、吹田のまちの発展とともに歩んできた歴史を伺うことができました。
 平成7年(1995年)の阪神淡路大震災では、大量の車両の修理の必要が生じましたが、博多総合車両所、鷹取工場からの応援社員と一緒に24時間体制で乗り切ったそうです。この話、鉄道社員としての矜持を感じ、ジーンときました。

【写真】阪神淡路大震災当時を説明するようす。後ろには、当時活躍していた新快速の車両が。

【写真】阪神淡路大震災当時を説明するようす。後ろには、当時活躍していた新快速の車両が。

【写真】歴代の新快速。確かに形が違いますね。阪神淡路大震災のとき活躍していたのは、221系(写真左から1番目)

【写真】歴代の新快速。確かに形が違いますね。阪神淡路大震災のとき活躍していたのは、221系(写真左から1番目)

(4)新しい時代に向かって
 約100年が経過し建物等の老朽化が進んでおり、また、検修(検査及び修繕)作業の安全性向上及び車体と車両部品の検査効率化のため、大規模な設備更新を行うとともに、新世代車両の特徴を活かした新たな検修(検査および修繕)ラインにリニューアルされるそうです。
 また、吹田市では、東洋一といわれた操車場跡での健都(けんと)のまちづくりについて、市長から説明がありました。
 最後は、参加者一同での記念写真。みなさん、いいお顔です。

【写真】吹田総合車両所の未来と、吹田市の未来を語る。市長、身振り手振りで自ら説明。

【写真】吹田総合車両所の未来と、吹田市の未来を語る。市長、身振り手振りで自ら説明。

【写真】最後は参加者のみなさんで記念撮影

【写真】最後は参加者のみなさんで記念撮影

おまけ 鉄道ファンのコアな目

 今回、えらい長い文章になってしまいましたが、最後におまけを。

(1)市長こぼれ話【工場整備と住宅開発の関係、線路の跡】
 来賓で参加されていた市長。オープニングセレモニーで帰りはると思いきや、ツアーまで参加。ツアーでは、ついつい案内人に補足したくなるようで、ちょいちょい飛び入り参加。
 「実は…」の話が面白くて、吹田総合車両所と大和大学敷地(かつては国鉄職員の官舎)が深くつながっている話は、参加者みなさんが興味津々でした。平らな土地は、作られてる(土を運搬した)んですね。土壌の同質性、かつて運搬用の線路や踏切があった名残を、まちの散策で見つけてみるのも面白いですよ。

【写真】「みなさん実はね…」と喋りも上手な市長。途中、案内人との掛け合いは、まるでコントのよう。

【写真】「みなさん実はね…」と喋りも上手な市長。途中、案内人との掛け合いは、まるでコントのよう。

(2)鉄道といえば斉藤雪乃さん【ツアーの途中に走る電車が気になる】【電車を見てイケメンと発した一言】
 吹田で鉄道といえば、今やテレビ番組や、鉄道イベントでの出演も多数の斉藤雪乃さん。ちょっと、耳を疑いましたが、117系という電車を見て、「イケメンっ!」との発言もあったそう。。。いやいや、電車好き過ぎるやん( ՞`ਊ ՞´)ナッ…ナンダト?
 今回のツアーでも、「あっ、もうすぐ珍しい電車が来ますよ!」との発言後に、ほんとにトワイライトエクスプレス色のEF(電気機関車)が走ってきました。いや、鉄道愛が素晴らしい。「鉄道のまち吹田」を語るのにふさわしい方ですね。

【写真】「流電」をバックに記念写真

【写真】「流電」をバックに記念写真

(3)所長の熱いハナシ【社員さんの自前企画、熱さは所長に負けず】
 最後は、今回のイベントを企画した所長のコボレ話。実は、当日までにも、何回か担当社員さんとお話する機会があったのですが、ことあるごとに「ウチの所長がね…」と今回のイベントには所長の思いがあること感じてました。秘密の話ですが、ちょっと怖い人かと、ビビッていたイエローですが、お会いすれば、それはもう鉄道の安全にプライドを持ったすごく熱い人でした。
 オープニングセレモニーの御挨拶にもありましたが、鉄道の万全な安全に徹底的に取り組んできた人生が滲みでていました。あわせて、地域の皆さんに支えられていることも大切に感じておられ、自ら陣頭指揮をとりながら、所内一丸として今回のイベントに取り組まれていたのが印象的でした。イベント会社に丸投げしそうなところを、社員さんが自前で作り上げたすごく想いのこもったイベントでした。吹田に素敵な社員さんが沢山おられて、鉄道の安全が今日も確保されていること、ほんと実感しました。

【写真】事前打合せや当日の受付。社員さんの自前企画なので、なんでもやります!

【写真】事前打合せや当日の受付。社員さんの自前企画なので、なんでもやります!

以上イエローでした。

【吹田】鉄道のまち吹田を実感(前編)はこちら!

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