<Profile>音羽代表取締役会長 田舞 喜八郎さん。 昭和22年生まれ。長崎県佐世保市出身。昭和45年9月、音羽鮨創業。昭和50年11月、 株式会社音羽設立、取締役就任。平成9年、代表取締役社長就任
創業、昭和45年。阪急沿線を中心に、京阪神に26店舗を構える音羽鮨。今回の「北摂しあわせ2.0」は、代表取締役会長の田舞喜八郎さん。
兄である田舞徳太郎さんと二人三脚で歩んだ激動の半世と〝しあわせ感〟について聞きました。
実家の借金返済のため 15歳で丁稚奉公へ
私は長崎の出身で、父が、炭鉱関係の事業をしていました。しかし、炭鉱不況で事業が失敗、その後も、色々な事業を行ったのですが、うまくいかずに負債が増加。借金の肩代わりのために、大阪へ丁稚奉公へ行くことになりました。
中学を卒業してすぐ、先に大阪に来ていた、2つ上の兄が働いていた庄内にある寿司屋に就職。2人が働いて得た給料は返済にまわすという生活。当時はそうすることが当たり前だと思い、疑問も持たずに働いていました。
しかし徒弟制度が厳しく辛いことも沢山ありました。何度もやめようと思いましたが、借金が私たちを縛ったのです。
4年間働いて、兄が21歳、私が19歳の時、なんとか借金を返済することができ、「とうとう、仕事をやめることができる」と、兄と夜逃げをする計画を立てました。準備も整え、いよいよ当日の明け方になり「さぁ行こう!」と2人で出発しようとしたその時、兄が急に、私に向かって言ったのです。
「やっぱりお前は残ってくれ。二人ともいなくなると、お店の営業ができなくなる。厳しいし辛かったけど、長い間、お世話になってきた訳だし」。
私は出鼻をくじかれた思いでしたが、結局は兄の言葉に従って、店に残ることにしました。
それから2年後、私が21歳の時に、福岡の博多で働いていた兄から「一緒に商売をしないか?」と連絡が入りました。
そこから、独立するために、お金を必死にため始めたのです。兄は、博多から大阪に戻って仕事をしていたのですが、私は、毎月給料袋をもらうと、封を開けずに、兄のところに持っていきました。
すると、兄がその中から1000円だけ抜いて、私に渡すのです。昭和43年の頃で、貨幣価値は今と違いますが、1カ月1000円で生活するのは厳しくて、「あと1000円欲しい」と伝えました。
すると兄が、1000円札をだして「これいくらにみえる?」と言うのです。
私が「1000円」というと、「これはな、今は1000円だけど、将来、1万円にもなり、10万円にもなり、100万円にもなるんや、その1000円を持っていくのか」と…。
そこまで言われると、黙って1000円だけ持って帰るのですが、帰り道「俺の金やのに何で?」と思っていたものです。
なにしろその頃は、お金がないものですから、パンの耳と少しばかりの野菜を買い、アパートの管理人さんに、フライパンと油を借りて、炒めて食べる。そんなことも多々あったのです。
しかし、後になって思えたことなのですが、あのお金は「自分が貯めたお金ではない」「兄に貯めてもらったお金」だったのです。たぶん私だけなら貯金をすることは出来なかったと思っています。
「旨くねえなら銭はいらねえ!」の奇策で勝負
商売を始めるなら阪急沿線がいい、ということで、池田の五月山に上りました。そこで兄が、「あの辺りがこれから開けていきそうだ」というので、物件を探したところ、池田市の姫室という場所で、最初の店舗との出会いがあったのです。
そして昭和45年の9月25日、「音羽鮨」を開業することが出来ました。兄が24歳、私が22歳の時のことです。
少しのお金を貯めてはいたものの、創業のための潤沢な資金がある訳ではなく、借金を抱えての船出でした。ここでもし失敗したら、中学を卒業してから何年間も、借金を返すために働いてきたのに、今度は、自分たちの借金のために、また働かなければならない…。
絶対に失敗はできないと、背水の陣で考えたのが、何か少しでもインパクトを与えようという策でした。
〝旨くねえなら銭はいらねえ〟というキャッチフレーズを掲げ、看板と鮨桶に書いたところ、これが多くの人に興味を持っていただけたのです。万博が開催された年で、景気も良かったですし、今とは違って時代もよかったのでしょう。お金を払ってくださらないお客さまは、一人もいませんでした。
時の運と、池田市という地の利を得、寝る間もないくらい忙しく、一生懸命働いたお蔭で、その年の大晦日には、店舗の借金を完済することができました。それから、阪急沿線を中心に、北摂地域、北新地、三宮とお店を増やしていくことになったのです。
その後兄は、父親の事業の失敗や音羽鮨の店舗経営の苦労の体験から、中小企業は多くの問題を抱えながら経営に苦しんでいる。そのお手伝いがしたいという想いで「日本創造教育研究所」という、中小企業の人材育成の会社を設立しました。
「人に良い」食べ物と、心の栄養を提供
私たち音羽は、〝食べ物づくり、人づくり〟という理念があり、経営ビジョンは”お客さまとともに、感動、幸せ、成長をつくる”です。
食という字は「人に良い」と書きます。だから、安全なものを提供することはもちろん。人間にしかできない、心の栄養を提供していきたいと考えています。
私も、お客さまに「美味しかった、ありがとう、また来るね」と言っていただくと、じーんと胸が熱くなる時がありました。また、あるお客様が「小さい時、父母によく、音羽鮨に連れてきてもらい、今でも良い思い出が残っています」という”喜びの想い出”を語ってくださいますが、そうしたことが、わが社のビジョンにつながることなのだと思います。
ちょっとした気配りで、お客さまに「ありがとう」と言っていただけるのが、社員さんの幸せであるし、お客さまも「ありがとう」という言葉を発する時には、幸せを感じておられると思います。そんな関係をこれからも創っていきたいですね。
スマートフォンが普及し、動かなくても、人とリアルに接しなくても、文字と文字でコミュニケーションができる時代になりました。便利になったのは良いのですが、人間と人間、表情と表情のコミュニケーションの機会が減っています。
こんな時だからこそ、人間の持つ本質的な喜びが大切なのではないでしょうか。
時代が変わっても変わらない普遍的なことを、自分自身も実践していきたいと思います。
秋の紅葉もさることながら…
北摂地域の中で好きなのは、やはり、音羽山荘のある明治の森国定公園です。箕面山は、飛鳥時代に、役行者によって開山された修行の場で、山岳信仰の根本道場として開かれたところです。景観も勿論素晴らしいのですが、なにか厳かな気持ちになって、元気をいただけるのです。
仕事でもプライベートでも悩んだ時は、箕面の滝道をよく歩きます。紅葉の季節が有名ですが、春から夏にかけての深緑の時期も、素晴らしいですよ。
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