前回に引き続き、小谷城郷土館についてご紹介します。
今回は郷土館の設立、そして大阪、堺の歴史研究に大きな貢献をされた方をご紹介します。その前に、まずは「小谷城」のことを簡単にお話しておきましょう。
始まりは鎌倉時代
小谷城(こたにじょう)は「城」というよりは「小山」という感じで、標高80mほどです。13世紀(鎌倉時代)中頃に自然のまま城として使われたのが始まりとされています。
そして、代々ここを治めてきた小谷家の起源については、次のように書かれています。
小谷家の始祖平氏頼晴は、鎌倉初期にこの地(若松荘)に地頭として赴任したのが始まりと言われています。小谷氏の居城として栂山城・小谷城・豊田城とともに鼎城と呼ばれ、堺で最も古い城址の一つです。
(ホームページより)
泉北にこんな昔のお城があったとは、知りませんでした!
南北朝時代には、千早赤阪城と大雄寺(浜寺)とを結ぶ狼煙(のろし)の中継地として活用されたそうです。
その後、織田信長の根来攻めによって落城しますが、小谷家はこの地の有力な一族として活躍を続けます。江戸時代には、上神谷地域を治めていた伯太藩渡辺家に仕える庄屋さんだったそうです。
そして時代は明治を迎え、1909年に小谷家の39代目となる小谷方明(みちあきら)さんが誕生。前置きが長くなりましたが、この方が今回の記事の主役です!
郷土の記憶を残すために
小谷方明さんは若い頃から地元の歴史に深く興味を持っていた方で、生活用具などの民俗資料を集めたり、和泉地方の廃寺などを巡り考古資料を採取したりして歴史研究に力を注ぎます。
そして1930年、つまり21歳の時に研究内容を出版するため「和泉郷土文庫」を設立。和泉地域の古い瓦を紹介した『和泉古瓦譜』、和泉木綿を紹介した『和泉木綿譜』、農業用具にスポットを当てた『大阪府民具図録』などを出版します。
そして1971年、小谷家に伝わる歴史資料や文化財に加え、長い年月をかけて収集してきた資料を展示する「小谷城郷土館」を設立します。当時はちょうどニュータウンの開発が進んでいた時期。古い集落や田畑が消えていく中、「郷土の記憶を残したい」という使命感も設立の原動力となったそうです。
その後も精力的に研究や出版を続け、1989年には地域文化功労者として文部科学大臣表彰を受賞。この地の人々の暮らしがどのように移り変わってきたのか、方明さんの研究のお陰で後世に詳しく伝えることができるんですね!
そんな方明さんは絵を描くのも得意で、出版した図録などの挿絵も自分で描いているそうです。郷土館にある解説パネルのイラストの中にも、方明さんが描いたものがありますよ。
受け継がれる方明さんの思い
歴史・民俗研究に生涯を捧げた小谷方明さんについて、孫にあたる現館長の小谷寛さんにお話を伺いました。
「祖父は勉強熱心で、ずっと研究に打ち込んでいました。書斎は足の踏み場もないくらい資料であふれ、夜遅くまで電気がついたのを覚えています。私が受験の時は、どちらが遅くまで電気がついているか、毎日競い合っていたような感じです(笑)」
現在も方明さんの遺志を受け継ぎ、展示の公開や研究、出版などを行っている小谷さん。子どもたちに少しでも歴史に興味を持ってもらおうと、小学校の地域学習も受け入れています。
そんな館長さんに、郷土館への思いを伺いました。
「最近は『歴史離れ』などと言われますが、子どもたちと昔の遊びを一緒にするとノリノリになってくれます。そういった所からでもいいので、歴史に興味を持つきっかけにしてほしいと思います。
そして地域の歴史をずっと伝えていけるように、頑張っていきたいですね」
皆さんもぜひ一度、訪れてみてください。より一層、泉北への愛が深まりますよ!
小谷城郷土館
- 堺市南区豊田1602
072-296-8435
開館時間/10:00~16:00
休館日/毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
※その他、夏期休館・冬期休館あり
入館料/一般200円(大学生以上) 小人100円(小中高校生)
※撮影禁止 ※飲食禁止 ※全館禁煙
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この記事を書いたのは…
ジモトミンフーキー
泉北でフリーライターをしています。町の小さな会社や、そこで働く人たちのストーリーを紡ぎながら町の魅力を紹介したいと考えています。泉北が「明るい未来に向かって積極的に挑戦する人」であふれる町になればいいなぁ、などと思いつつ。よろしくお願いします。