【池田】北摂のナゾ地名を調査!北摂自由研究⑤ 槻木町 どう読む?

【池田】北摂のナゾ地名を調査!北摂自由研究⑤ 槻木町 どう読む?

こんにちは!まちっと編集部のバンハルです。
以前リビング北摂Webで取り組んでいた「編集部 北摂自由研究」から、北摂の地名に関するクイズとエピソードを紹介します。
知っているようで知らない地名の世界。へ~そんな由来があるのね!と発見もいっぱい。
地名にはまさに北摂ならではの”謎”が詰まってますよ。
≪2020/1/22公開≫
◇     ◇     ◇

今回「北摂自由研究〈地名編〉」で取り上げるのは、大阪・池田市の「槻木町」です。

槻木町1

一瞬、どう読むのか戸惑う地名ですが、正解は「つきのきちょう」。同じ北摂の高槻市が「たかつき」と読むことを思えば、納得ですね。でもこの地名の漢字や読み方にも、興味深い”由来”があるのです。

 

阪急電鉄の車庫があったことも

阪急池田駅から北側に出て、西に向かって(川西市方面)歩くと、そこが槻木町です。池田市文化財保護審議会会長の室田卓雄さんによると、かつて槻木町には阪急電鉄の車庫があったといいます。宝塚市に車庫が新設され(現在の平井車庫)、昭和45年12月に廃止(昭和47年11月撤去)に。現在は、マンション等が建っています。

槻木町の由来について、以前、室田さんが市民の方に聞いた話では、「近くの猪名川の堤防に、ケヤキの木があったことから、槻木になったのではないか」という話が残っています。ケヤキを漢字で書くと「欅」ですが、「槻」の漢字を使うこともあるそう。

 

江戸時代は「月ノ木」だった!?

1697年(元禄10年)の「池田村絵図」によると、まちを形成するほどの家並みはなく、まだ槻木町の地名はありません。1746年(延享3年)の絵図では家が多く建ち、月ノ木町の地名が見られます。最初は、「月ノ木」と書いて「つきのき」だったのですね。

絵図に槻木町の地名が登場するのは、1762年(宝暦12年)です。なお、大政奉還で江戸時代が終わるのは1867年。少なくともその100年前から、今なお受け継がれる「槻木町」は、古い地名といえそうです。

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まちっと北摂編集部バンハル

大阪・北摂(豊中・吹田・池田・箕面・茨木・高槻)で地域密着の生活情報紙「リビング新聞」を発行する株式会社サンケイリビング新聞社が展開する地域情報プラットフォーム「まちっと北摂」の編集部、バンハルです。 夫と息子+琉球MIX犬(女の子)と暮らしています。以前千里中央に事務所があったときは、お昼休み、コラボの図書館に通いづめてました。おすすめは大阪モノレールから見下ろす街並み。特に秋は紅葉が素晴らしい! アイコンの画像はバンハル3歳のときのものです。

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