こんにちは モトタロウです。
ここ最近、世の中はすっごいマンガブームなのでは?と思っていて、
往復の通勤電車の中でもスマホを眺めてるヒトたちの多くが
熱心にマンガを読みふけってるのが当たり前の光景。
で、これだけたくさんの人がマンガ読んでいるということは
それだけマンガ描いているヒト=漫画家がいるということで。
今回、ふとしたきっかけで
「吹田市に新進気鋭の若手 漫画家がいる!」という情報を飲み屋でキャッチ。
お話を伺う機会を設けてもらいました。
その漫画家は吹田生まれの吹田育ち 村上ペコさん27歳
URL: 村上ペコさんTwitter
吹田のとある駅で待ち合わせ。
現れたのは「村上ペコ」さん。
吹田(ホントは上新庄)生まれの吹田育ちの27歳。
はにかみながら挨拶してくれました。
印象は・・・フツーの優しそうな若者・・かな
まずは、村上ペコさんの作品を紹介しましょう
累計2000万ダウンロードを超えるコミックアプリ「マンガワン」の新人賞「第8回マンガワン投稿トーナメント」で
ダントツの1位を獲得した注目の期待作が「アクターダンス」。
ダークヒーロー探偵が活躍する復讐劇。
2020年には待望のコミックス化がなされ「裏少年サンデーコミックス」から発売中
こちらは「ガチャマン」
ある日、記憶を失った高校生・九地廻人(くじ かいと)。
気がつくと彼の胸には「ありがとう」と書かれた正体不明の“ガチャ”がついていた・・・
小学館が運営するウェブコミック配信サイト「裏サンデー」で好評連載中。
2022年1月19日にはこちらも「裏少年サンデーコミックス」からコミックス化され発売。
原作:焼き芋ハンサム斎藤さん
作画:村上ペコさん
きっかけは雨に見舞われた夏の日の家族旅行
村上ペコさんは地元吹田市の公立小・中学校、高校を経て地元の私立大学を卒業。
今も吹田市で漫画家として創作活動をしています。
村上ペコさんにインタビューしてきました。
ーーーマンガ家になったきっかけはなんでしょう?
「そもそも小さい時からマンガを描くのが好きでした。
今でもすごく記憶にあるのが、小学生の時、夏休みに家族旅行に行ったんですよ。
でもあいにくの雨に見舞われて・・・。
6歳下の弟がつまらなさそうにしていたので、ボクが描いたアニメのキャラクターがバトルしているノートを見せたら、
とっても喜んでくれて・・・。
それが最初のきっかけで、その後何冊ものノートにマンガやストーリーものを書くようになりました」
ーーーその後のマンガとのかかわりを教えてください
「中学、高校時代は水泳部に所属しながらWebサイトなどを通じ作画の勉強をしてきました。
大学では総勢30人ほどの漫画サークルに所属し、
出版社などが運営するいろんな賞にも作品を出品し、入賞をもいただきました。
でも、大学卒業となり、いったんは一般企業に就職しました。
ただ、その会社の内容や組織に自分は合わなくて、、、
それを機会として、本気でプロの漫画家を目指すことを決意しました」
どんなふうに描いてるの?令和の漫画家のお仕事部屋に潜入
その後は漫画家としての様々な活動を経て
現在ではウェブコミック配信サイト「裏サンデー」での連載や単行本の発売など
精力的な創作活動を行っている村上ペコさん。
今回、特別に吹田にあるお仕事部屋にお邪魔させていただきました。
お仕事風景などを写真でご紹介します
村上ペコさんにとって、この町は? そして今後の目標は?
ーーー村上ペコさんにとって、吹田市のこの町はどんな場所でしょうか?
「ここは、北摂の中でも決して上品とは言えないエリアですが、
めちゃくちゃ気に入ってます。
昔ながらの商店街もあるし、プールもあればスーパー銭湯や本屋さんや図書館・・・
ボクの創作に必要なものが揃っています」
「そして、ボクを支えてくれる家族も友人もこの町にいます。
この町が大好きです。
今は別の場所に行きたいとは思わないな」
ーーー最後に今後の目標を教えてください
「まずは1月に発売の『ガチャマン』コミックスが重版されることです。
『ガチャマン』は原作者との共同作業ですので、なんとか重版という形にしたいです」
「あとはシンプルに絵がうまくなりたいです。早く、うまく・・・
そしてマンガ雑誌に掲載できるレベルになれるよう、がんばります」
子どものころから描いていた夢。
ここ吹田でその夢に向かって進んでいく27歳の若者。
そのエネルギーと情熱は、物静かなあなたの外見からも確かに伝わってきましたよ!
これからも頑張ってくださいね、とエールを送らずにはいられません。
本日はありがとうございました。
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この記事を書いたのは…
ジモトミンモトタロウ
1970年 6歳の時に見た太陽の塔内部の「生命の樹」。その衝撃を忘れることができず、今でもパワースポット「太陽の塔」に夢中です