前編に引き続き、柏南端部に位置する藤ヶ谷の自転車旅をご紹介します。
案内してくださるのは「なかじー」こと柏市観光協会 事務局長の中島貴洋さん。
同行してくださるのは、市内の水辺環境や動植物などの生態系に精通している「デミー」こと川瀬美幸さん。
妄想好きな3人で巡る藤ヶ谷ちゃーりんぐ。
前編で、なかじーから突きつけられた挑戦状とは?
そして、ちょっと足をのばして、白井市の富塚地区を訪れると、めくるめく濃厚な世界が展開されていて…。
↓↓前編の記事はこちらをご覧ください。↓↓
URL: 【柏】十三塚にジャンボ海老天重! なかじーと行く“濃厚濃密”藤ヶ谷ちゃーりんぐ(前編)
なかじーオススメ! 藤ヶ谷ちゃーりんぐコース
①ローソン沼南工業団地入口店(集合)
②藤ヶ谷十三塚
③持法院
④濱田家 本店(ランチ)
⑤藤ヶ谷城跡(香取神社)
⑥藤ヶ谷中上城跡
⑦矢の橋(セブンイレブン沼南藤ヶ谷店)
⑧鮮魚街道 常夜燈
⑨海上自衛隊 下総航空基地
⑩むこたま 本店(解散)
〈おまけ〉(白井市)富塚鳥見神社、西輪寺
藤ヶ谷中上城跡から「村雨丸伝説」の残る「矢の橋」へ
香取神社から、藤ヶ谷城の支城と推測される藤ヶ谷中上城跡まで自転車を走らせ、そこから一気に下っていき、柏市と白井市を隔てる用水路「金山落し」に向かいます。
涙なしには語れない!「村雨丸伝説」
坂をくだると、「矢の橋」という地域にたどり着きます。
この地名は、両地域による合戦の折、弓矢の交戦によって、矢が積み上げられて橋になるほどだったことから名付けられたといわれています。
実は、この辺りには、「村雨丸伝説」という悲しいお話が伝えられているのです。
伝説によると、豊臣秀吉の小田原征伐の際に父を失った村雨丸という14歳の若者は、その仇である相馬胤吉(たねよし)を追って旅に出ましたが、矢の橋までたどり着いたときには重い病にかかり、夢のおつげにしたがって聖徳太子像を作りあげると、倒れてしまいました。
そこに武将が通りかかり、村雨丸の話を聞くと、自分が父の仇であり、目的を果たすように告げます。すると、その言葉に心を打たれた村雨丸は、金山落しに身を投げてしまったのです。
残されたお守り袋には、「平貞盛の子孫」と書かれていました。
〈おまけ〉村雨丸伝説ゆかりの西輪寺
「村雨丸伝説」には続きがあります。
胤吉は自身も自害することを考えますが、思いとどまって僧になり、村雨丸の墓を建て、聖徳太子像を祀りました。また、父子を弔うために法華経2部を書写し、奉納しました。
その場所が、白井市西白井の「村雨山」や「二部山」だと伝えられています。
また、後年、里人たちが仮のお堂を建てて聖徳太子像を安置し、白井市富塚に移転したのが「西輪寺」だと伝えられています。
後日、西輪寺にも行ってみました。
西輪寺の太子堂には、南北朝時代の制作と考えられる聖徳太子立像が祀られています(原則非公開)。
〈さらにおまけ〉お守り袋の「平貞盛の子孫」とは?
本稿執筆にあたり、「村雨丸伝説」についてWEBで調べていたところ、「平胤吉」という表記もあることに気づきました。
そこで、後日、白井市立図書館に行き、さらに、白井市教育委員会にも電話取材をしました。
すると、村雨丸のお守り袋に「平貞盛の子孫」と書かれてあったことが鍵であると教えてくださいました。
『冨塚村聖徳太子像由緒書』(江戸~明治期)、『千葉縣東葛飾郡誌』(大正時代)などの史料では「相馬胤吉」の記述であるのに対し、最近の白井の書籍では「平胤吉」という記述が見られるようになったそうです。
ただし、相馬氏のルーツである千葉氏は、〈桓武天皇〉の曽孫(あるいは孫)である〈高望王〉の息子〈平良文〉を祖とする系統なので、名字(※)の「相馬」を使用しているか、氏(うじ)名(※)の「平」を使用しているか、という違いにすぎないとのこと。
さて、平良文は甥である平将門の養子になったという伝承があるため、相馬氏は平将門の子孫とされています。一方、村雨丸の祖先の〈平貞盛〉は〈高望王〉の息子〈国香〉の息子であり、国香は将門の宿敵です。
そのため「平胤吉」と書かれるようになったのは、①同じ桓武平氏の一族だとわかったから、胤吉は自害を思いとどまり仏門に入ったのだろうと推測させるため、また、②〈将門〉対〈国香〉という先祖の因縁の関係をわかりやすくするためではないかと考えられるのです。
※氏(うじ)名:祖先を同じくする親族集団、血筋を表す。名字:自分の家(直系血族の集団)の名を表す。
鮮魚街道の常夜燈
藤ヶ谷に戻りましょう…。
鮮魚街道は「なまかいどう」または「なまみち」と読みます。
魚は新鮮さが命。江戸から明治時代にかけて、おもに銚子沖でとれた魚類を江戸の魚河岸に最短時間で運ぶためにこの交通路ができました。
その日に獲れた魚は、夕方に銚子を出発し、利根川をさかのぼって布佐河岸で陸揚げされ、馬の背で松戸河岸まで運ばれます。さらに江戸川を下り、翌々日の朝のせりにかけられるのです。
〈おまけ〉濃厚すぎる! 仰天! 富塚鳥見神社
中島さんが鮮魚街道について説明してくださっているときに、白井市の富塚に「切られ庚申」という、鮮魚街道にまつわる伝説をもつ庚申塔があることを知りました。すると、後日、その写真とともに、「庚申塔マニアの石井さんなら行くでしょ」と、挑戦状が送られてきたのです。
マニアというほどのキャリアはないですが、そんな風に言われてしまっては…行くしかないでしょ!
まんまと挑発にのって、後日、村雨丸が飛び込んだ(と想像される)矢の橋(セブンイレブン)から自転車で4分ほどの鳥見神社に行ってみました。
この鳥見神社が、また濃厚濃密なんです!!
海上自衛隊 下総航空基地
藤ヶ谷に戻りましょう…。
柏市や鎌ヶ谷市にまたがる下総航空基地の敷地は、元々、武蔵野カンツリー倶楽部が高柳駅の東西に所有していた2つのゴルフコースの西側にあたるところでした。
太平洋戦争の戦局の悪化にともなって藤ヶ谷飛行場の建設が開始され、昭和20年(1945年)6月に完成しましたが、ほどなくして敗戦を迎えます。戦後、米陸軍航空軍の基地Shiroi Air Base(白井航空基地)として米軍の管理下に置かれたのち、昭和25年(1950年)に返還されて、海上自衛隊の航空基地になりました。
下総航空基地には、哨戒機(※)P-3C等の操縦士や航空士になるための教育をおこなう「第203教育航空隊」、航空機関係の機体や機器の教育等をおこなう「第3術科学校」など、多数の部隊が在籍しており、また、一般向けの見学イベント等も実施しています(コロナ禍では限定的な実施)。
※哨戒機:潜航中の潜水艦を発見したり攻撃したりする軍用機。
締めは「たまごのお店 むこたま 本店」で!
「安心・安全を第一に考え、鶏たちのえさや健康管理、環境に気を配り、良質なたまごをお客様の食卓へ責任を持ってお届けすること」をモットーにしている「むこたま」の運営会社「向台ポートリー」さん。
藤ヶ谷にある「むこたま」本店では、向台ポートリーの養鶏場でとれた、“産みたてホヤホヤ”のたまごをはじめ、新鮮なたまごをふんだんに使用したプリンやソフトクリームなどのスイーツ、毎朝焼きたてのたまごパン、地元の新鮮野菜などを購入できます。
終わりに…
いかがでしたでしょうか?
アクセス手段も限られていて、訪れるチャンスが少ない藤ヶ谷の歴史スポットですが、歴史の神秘に触れ、先人たちの生活に思いをはせてみたり、防衛についても改めて考えたり…と、盛りだくさんで、一つひとつのスポットへの感動がハンパない、愛おしい地域です。
また、隣接した白井市の歴史スポットも興味深いので、ぜひセットで訪れてみてください!
中島さん、川瀬さん、お陰様でステキな旅になりました。ありがとうございました。
これからも“妄想族”仲間でいてくださいね!
そして、白井市教育委員会 生涯学習課さま、本当に丁寧に「村雨丸伝説」について教えてくださいまして、ありがとうございました。
また、柏側の「村雨丸伝説」の史料について教えてくださいました、柏市教育委員会 生涯学習部 文化課さま、ありがとうございました。
さて、ちゃーりんぐ柏では、一緒に自転車で歴史スポットを巡るメンバーや、安全なサイクリングコースを考えてくださるメンバーを募集中です! ご興味のある方は、下記URLからアクセスしてご連絡ください!
URL: ちゃーりんぐ柏ホームページ
たまごのお店 むこたま 本店
- 【住所】千葉県柏市藤ケ谷1846-1
【電話番号】04-7190-1108
【営業時間】9:00~19:00
【定休日】木曜日(木曜日が祝日の場合も休業)※たまご自動販売機コーナーは、定休日も利用可能
富塚鳥見神社
矢の橋(セブンイレブン沼南藤ケ谷店)
- 【住所】千葉県柏市藤ケ谷911-5
鮮魚街道 常夜燈
海上自衛隊 下総航空基地
- 【住所】千葉県柏市藤ヶ谷1614-1
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※記事に掲載した内容は公開日時点の情報です。変更される場合がありますので、お出かけ、サービス利用の際はHP等で最新情報の確認をしてください
この記事を書いたのは…
「ちゃーりんぐ柏」代表石井雅子
柏生まれ柏育ち。編集者・箏(こと)奏者。市民活動家の両親が2015年前後に他界したことをきっかけに、柏に興味を持つようになる。2021年、柏の歴史スポットを自転車で巡る「ちゃーりんぐ柏」を立ち上げる(2022年市民公益活動団体登録)。2023年5月、補助金申請や情報発信、連携などをサポートする中間支援団体「ジセダイ歴史文化継承研究所」を設立、事務局長を務める。2024年8月柏に特化した観光会社「かしわグリーン観光社」を設立、代表を務める。