さまざまな魅力を持つ堺ですが、街の魅力を生み出すものは、やっぱり人!
ということで、堺の素敵な人を紹介します。
今回の主役は、堺の伝統産業に新たな風を吹かそうと奮闘する、辰巳木柄製作所の4代目、辰巳博康さん。100年近く続く工房の4代目として、新たなチャレンジを続ける博康さんが考える「堺と職人」の魅力とは?
堺の包丁文化を支え続けて100年
堺には多くの伝統産業がありますが、中でも包丁が有名ですね。
では「包丁職人」と聞くと、どんな姿を思い浮かべますか?
おそらく熱した鉄を打っている姿や、刃を研いでいる姿を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
しかし、他にも包丁づくりに欠かせない大切な工程があります。それは、持ち手となる「柄」の製造です。
今回ご紹介する博康さんは、この「柄」を専門に作る辰巳木柄製作所の4代目。職人として柄を作るかたわら、堺の職人文化にスポットライトを当てるべく、さまざまな取り組みに挑戦しています。
多くの伝統産業と同じく、包丁づくりの業界も分業制が一般的で、刃と柄は別々の工房で製造されてきました。辰巳木柄製作所は柄を専門に作る工房として、博康さんの曾祖父が創業。今から約100年前の1927年(昭和2年)のことです。以来、4代にわたって堺の包丁文化を支え続けています。
建築家の夢と家業への思い
歴史ある職人の家に生まれた博康さんですが、もともと家業を継ぐつもりはなく、大学では建築を学んだそうです。
「すぐ近所に著名な空間デザイナーの間宮吉彦さんのお家があって、小さい頃から『すごい人』という話を聞いて興味を持っていたんです。自分自身も絵を描くことが好きだったので、アートや建築の分野に進もうと思いました」
高校卒業後は「一人暮らしがしたい」という思いもあり、神戸にある芸術系の大学へ進んだ博康さん。建築家をめざして勉強に励んでいましたが、卒業制作を機に改めて家業と向き合うことになります。
「ゼミの先生から『せっかく職人の家に生まれたなら、関連するテーマで研究してみては』と勧められたんです。また、当時はアルバイトで親の仕事を手伝っていたこともあり、家業と関わる時間が増えていました」
2020年、大学院を修了するタイミングで新型コロナが拡大。
「戻って家業を助けた方がいいかも」
そう考えた博康さんは包丁職人の道へ進みます。ご両親は自分たちの代で事業をたたもうと考えていたそうですが、博康さんの加入によって途切れかけた歴史は再び未来へとつながることになります。
「知ってほしい」から始まった試行錯誤
職人として歩み始めた当時、博康さんにはひとつの思いがありました。それは「柄の製造について、もっと知ってほしい」というものです。
「大学などで家業の話をしても『柄の職人て何?』と言われることが多く、そもそも分業制で成り立っていることも知られていない。そんな状況を変えたいな、という思いがありました」
そして博康さんはSNSで柄の製造に関する情報を発信したり、木工のワークショップを開いたり、さまざまな活動を始めます。活動が知られるようになるとコラボ商品の依頼なども舞い込むようになり、さらに活動の幅が拡大。そんな中、さらに注目を集める商品が誕生します。
それが、一輪挿しです。
家業の技術をそのまま生かし、新しい設備がなくても作れるものを模索するなかで生まれたものでした。大阪府が中小企業の自社商品開発を支援する「大阪商品計画」でも紹介され、辰巳木柄製作所の名は各方面に知れ渡ります。
「この一輪挿しは柄を作るときに出る端材を活用しています。イチイやホオなど、使う木材にもそれぞれストーリーがあり、多くの方から興味を持っていただいています。
オンラインショップでも全国各地から注文をいただき、反響は予想以上でした」
堺の伝統産業を新しい感性で受け継ぎ、その可能性を開拓しようと試行錯誤を続ける博康さん。後編では、堺の職人文化への思いと、その発展に向けた壮大な計画について紹介します。
辰巳木柄製作所
- 大阪府堺市堺区錦之町東1-1-1
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この記事を書いたのは…
ジモトミンフーキー
泉北でフリーライターをしています。町の小さな会社や、そこで働く人たちのストーリーを紡ぎながら町の魅力を紹介したいと考えています。泉北が「明るい未来に向かって積極的に挑戦する人」であふれる町になればいいなぁ、などと思いつつ。よろしくお願いします。