【柏】18世紀フランスにタイムスリップ! フランス城主会会長に認められた本物のお城「コーマル城」

【柏】18世紀フランスにタイムスリップ! フランス城主会会長に認められた本物のお城「コーマル城」

子どもの頃、国道16号線のトンネル近くの東柏界隈を初めて通ったとき、森の中に突如として現れるヨーロッパのお城に、自分は異空間に迷い込んでしまったのではないか…そんな気持ちに襲われました。
今や、この辺りは住宅街となり、お城に調和するように家々が立ち並んでいます。
フランス18世紀ロココ様式の建築を、日本の住宅のサイズに合わせて忠実に再現したという「コーマル城」。
どのような思いで、こんなステキなお城を造ったのだろう…。
建築デザイナーであり、コーマル城城主の高丸重信さんにお話をうかがいました。

一つひとつ丁寧にお話してくださる高丸氏。いつお会いしても、きちんとしたスーツで迎えてくださいます。

一つひとつ丁寧にお話してくださる高丸氏。いつお会いしても、きちんとしたスーツで迎えてくださいます。

フランス城主会会長が認めた本物のお城

Q:コーマル城は高丸さんのご自宅でもありますが、お城にお住まいになるというのはどのような感覚なんでしょうか?

高丸氏:初めは自分の家がお城という感覚がなく、家を建てたときは「コーマル・ハウス」と言っていたんです。しかし、「小さいけどちゃんと造られているから、“Chateau de”(お城の)とつけてください」と、長年親交のあるフランス城主会会長のブルトゥィユ氏が認めてくださったので、「Chateau de Comal」に変えました。

Q:そもそもなぜお城を建てたんですか?

高丸氏:幼い頃からの夢だったんです。うちに大きな百科全集が何冊かあって、毎日いろいろなジャンルの写真を眺めているうちに、ヨーロッパのお城に憧れ、建てたいと思うようになりました。

玄関を開けると目に入るのが、この極楽鳥の剥製。元々インドネシアのスカルノ元大統領が衆議院議員を務めた木村武雄氏に贈ったもの。階段の踊り場の壁には城主の肖像画が飾られています。

玄関を開けると目に入るのが、この極楽鳥の剥製。元々インドネシアのスカルノ元大統領が衆議院議員を務めた木村武雄氏に贈ったもの。階段の踊り場の壁には城主の肖像画が飾られています。

インタビューをおこなった「盾の間」の壁。上部に飾られているのがコーマル城の紋章。その中央には、フランスの名門ブルトゥィユ家の紋章を配しています。その右下に掲示してあるのは紋章使用の許可証。

インタビューをおこなった「盾の間」の壁。上部に飾られているのがコーマル城の紋章。その中央には、フランスの名門ブルトゥィユ家の紋章を配しています。その右下に掲示してあるのは紋章使用の許可証。

職人に憧れた子ども時代

Q:どんなお子さんだったんですか?

高丸氏:父は私が1歳にならないうちに戦死しているので、母に厳しく優しく育てられました。おもちゃを買ってもらったことがないんです。「自分で作れ」と。「作り方は作った人の気持ちになってよく考えれば少しずつわかってくるから。わからなかったらお母さんが教えてあげるから」と言って、私がやることをじっと側で見守ってくれました。

Q:今の高丸さんの原点ともいえるエピソードですね。ほかにどんな思い出がありますか?

高丸氏:戦後のモノのない時代でしたが、母がクリスマスプレゼントに何が欲しいか聞いてくれたことがあり、私が「サンタクロースの家がほしい」と言うと、後日、母は私を木工所に連れていったんです。それから、私は毎日、幼稚園の帰りに木工所を訪れ、職人が少しずつサンタクロースの家を作っていく工程を見せてもらいました。

Q:それはワクワクしますね!

高丸氏:はい。それで私は職人のすばらしさを知り、当時、自分の家で作業する職人さんたちが多かったので、様々な職人さんの家に行って、ものづくりの様子を見せてもらいました。

様々な催しに使われる「舞踏の間」。高丸氏が手がけた装飾があちこちに散りばめられていて、ここに入った人は皆、表情が輝きます。

様々な催しに使われる「舞踏の間」。高丸氏が手がけた装飾があちこちに散りばめられていて、ここに入った人は皆、表情が輝きます。

奥には劇場のような空間が続いて見えますが、ヴェルサイユ・オペラ劇場のだまし絵なんです。

奥には劇場のような空間が続いて見えますが、ヴェルサイユ・オペラ劇場のだまし絵なんです。

スクリーンをあげると、ピアノが現れました。

スクリーンをあげると、ピアノが現れました。

手賀沼に惹かれて

Q:なぜこの土地にお城を建てたいと思ったんですか?

高丸氏:私は香川県で生まれ育ったのですが、中学卒業後は、母の勧めで東京の高校に通うため、柏で下宿することになりました。そして、高校3年生のときに柏公園に連れて行ってもらったんですが、まだ文化会館がなく、眼下に手賀沼が見え、大正時代には志賀直哉や武者小路実篤など様々な文化人が集まって、「北の鎌倉」といわれたことを知ったんです。

Q:白樺派の文人たちが我孫子に移り住んだ時期ですね。

高丸氏:はい。たいへん衝撃を受けました。それで、幼い頃からの夢の建物をこの近くに建て、いろいろな人を招きたいという気持ちになりました。

Q:でも、我孫子ではなく…?

高丸氏:私が建てたいと思った我孫子の高台の土地は、下方の道路を拡張するために削られる可能性があると不動産会社に言われたのであきらめたんです。

Q:そして、この地に?

高丸氏:はい。実は、その不動産会社が、当時、文京区の総合運動場だったところを紹介してくれたんです。すぐ側の国道16号のトンネルの上にはかつて戸張城があり、この土地の字名が「井戸田台」だったことが決め手になりました。お城があって、井戸があって、高台で。私は子どもの頃からコーヒーが好きだったので、美味しい水でコーヒーを出す喫茶店をひらいたり、お抹茶を作ったりすることができると思ったんです。

筆者も大好きな「カフェ・ポンパドゥール」。香り高く、やさしい味わいです。カップにも紋章が入っています。

筆者も大好きな「カフェ・ポンパドゥール」。香り高く、やさしい味わいです。カップにも紋章が入っています。

高丸氏が考案した看板メニューの「カフェ利休」。戦国時代に千利休がコーヒーに出合っていたとしたら、どんな風にコーヒーを入れたでしょうか…。

高丸氏が考案した看板メニューの「カフェ利休」。戦国時代に千利休がコーヒーに出合っていたとしたら、どんな風にコーヒーを入れたでしょうか…。

高丸氏はコーヒーを泡立てたのではないかと推測。茶道家でもある奥様が茶筅をさっと回し、やわらかくまろやかなコーヒーになりました。和三盆がまたよく合うんです!

高丸氏はコーヒーを泡立てたのではないかと推測。茶道家でもある奥様が茶筅をさっと回し、やわらかくまろやかなコーヒーになりました。和三盆がまたよく合うんです!

いろいろな角度から問題を眺めながら…

Q:夢のお城を建てるのには、どのような苦労がありましたか?

高丸氏:建築に関する装飾的なものがいっさい日本にはないんです。あったとしても、日本の一般の住宅の大きさで造ろうと思ったのでサイズが合わない。そのため、自分で図面を描いたりして、家のほんどすべてのものを私が造りました。

Q:子どもの頃にご覧になった職人さんたちの姿と重なりますね。ほかにどんな苦労がありましたか?

高丸氏:とにかくお金がない。33歳ですから。資金がなくなったら、一旦工事をやめて…という感じでしたので、着工から30年かかりました。

Q:当時はどんな仕事をされていたんですか?

高丸氏:大学は母の勧めで法学部を専攻したので、デザインは独学でした。そのため、自分が設計事務所に就職して図面を描くのは不可能だと思ったので、24歳のときにデザイン事務所を立ち上げたんです。毎日お客さんから電話をいただいたり、来所していただいたりしたんですけど、どこも手がけたことがないということでいつも断られてしまいました。

Q:経験がないとやはり厳しいですよね? どうやって注文を増やしたんですか?

高丸氏:汚いアパートを見つけてきて、不動産会社と交渉してリフォームを条件に借りたんです。そうしたら、表は汚いけど、中に入るとヨーロッパの部屋があるので、みなさんびっくりするんですよ。一番初めにいただいた仕事は、柏駅前にある石戸画材から。社長の新一郎さんが「今度、新しい店舗と画廊を作ろうと思うから、それをやってほしい」と言ってくださったんです。

Q:知りませんでした!

高丸氏:建築デザイナーと並行して、「皇帝児(コーテル)」というフランス風中華料理店も経営していたんですよ。

Q:フランス風? 中華?

高丸氏:お客さんも中華料理店だと思わないですよね(笑)。とにかく、自分なりにいろんなことを考え、建物だけじゃなく、自分の生き方を考えることを第一にする。母親から、いろんな角度からものの見方はできるのだから、そうすることによって開けてくるのだからと教わっていたので。

地下にある「徳雅洞(ナルガドウ)」とよばれるワイン倉。城内は通常は奥様がご案内してくださるのですが、今回は城主自らご案内していただき、たくさんのワインの眠る貯蔵庫を開けてくださいました。

地下にある「徳雅洞(ナルガドウ)」とよばれるワイン倉。城内は通常は奥様がご案内してくださるのですが、今回は城主自らご案内していただき、たくさんのワインの眠る貯蔵庫を開けてくださいました。

中にはワインとともに、バスティーユの城壁が飾られています。これは、フランス革命200年を記念して高丸氏が制作したもので、元々、髙島屋3階のコンコースにあるエレベーターの横に飾られていたものなんです。

中にはワインとともに、バスティーユの城壁が飾られています。これは、フランス革命200年を記念して高丸氏が制作したもので、元々、髙島屋3階のコンコースにあるエレベーターの横に飾られていたものなんです。

左右の壁には、中世のワイン収穫と製造の壁画が飾られています。壁の岩肌は、高丸氏が根気強く壁に窪みをつけてできたものです。

左右の壁には、中世のワイン収穫と製造の壁画が飾られています。壁の岩肌は、高丸氏が根気強く壁に窪みをつけてできたものです。

ワイン倉の階段を登ろうとして見上げると、ワインの瓶でできた照明が!

ワイン倉の階段を登ろうとして見上げると、ワインの瓶でできた照明が!

20世紀に消滅したサロンを復活

Q:サロンはどのように展開されたのですか?

高丸氏:朝日新聞に掲載されたのをきっかけに、様々なメディアで取り上げられるようになったんです。最初に来てくださった麗澤大学の創設者・宗武志先生は「あなたは日本で初めてのことをやろうとしているのだから、私にできることがあったら何でも相談してください」と言ってくださいました。宗先生から山階宮様、そして山階鳥類研究所の所長を務められた黒田長久先生にもつながりました。

玄関欄間のステンドグラスは、黒田長久氏が描いた極楽鳥の絵を、菊地健一氏が古典技法で制作したもの。

玄関欄間のステンドグラスは、黒田長久氏が描いた極楽鳥の絵を、菊地健一氏が古典技法で制作したもの。

階段室から上を見ると、黒田氏直筆の原画が見えます。

階段室から上を見ると、黒田氏直筆の原画が見えます。

階段室の壁に描かれているのはフラゴナールの「ブランコ」の模写。天井画と一体化させるために、原画にない天使が描かれています。女性のドレスの後ろにはコーマル城が…。

階段室の壁に描かれているのはフラゴナールの「ブランコ」の模写。天井画と一体化させるために、原画にない天使が描かれています。女性のドレスの後ろにはコーマル城が…。

Q:サロン文化賞も創設されましたね。

高丸氏:世界中の様々な方に私の賞を受賞していただけるようになりました。フランスの5つのアカデミーの総裁であるエドワール・ボヌフーさんに授与した際、「なぜ名もない私の章を受けたのですか」とうかがったら、「20世紀に世界中からサロンが消滅したのを、あなたは東洋で立ち上げた。だから受けたんです」と言ってくださったんです。

Q:毎月、シャンソンやチェンバロのサロン、日本茶の会などもおこなわれていますよね。

高丸氏:はい。今年は千利休生誕500年の記念行事などもあります。実は、令和元年にここを財団法人にしたんですが、今後も、若い人たちにつないでこの建物を残して、文化活動など様々な催しものでここを使ってほしいと思っています。

サロン文化賞を受賞された方で、亡くなられた先生方を祀る「学問の礼拝堂」。中央に置かれたレリーフは、『百科全書』第1巻(レリーフの上に配架されている書物)の口絵にある、真理の殿堂を表す寓意画の原画を高丸氏が彫ったもの。

サロン文化賞を受賞された方で、亡くなられた先生方を祀る「学問の礼拝堂」。中央に置かれたレリーフは、『百科全書』第1巻(レリーフの上に配架されている書物)の口絵にある、真理の殿堂を表す寓意画の原画を高丸氏が彫ったもの。

「書斎と図書の間」。左の壁には、コーマル城で展覧会を開催したときに制作された早川義孝氏のタペストリーがかけられ、机の上には、黒田長久氏の形見分けとして贈られた、北村西望氏作の閑院宮の騎馬像が置かれています。

「書斎と図書の間」。左の壁には、コーマル城で展覧会を開催したときに制作された早川義孝氏のタペストリーがかけられ、机の上には、黒田長久氏の形見分けとして贈られた、北村西望氏作の閑院宮の騎馬像が置かれています。

チェンバロ奏者・Rieさんのサロン終了後に、ちゃーりんぐ柏のメンバーと撮影。フランス18世紀サロンの雰囲気を満喫!

チェンバロ奏者・Rieさんのサロン終了後に、ちゃーりんぐ柏のメンバーと撮影。フランス18世紀サロンの雰囲気を満喫!

若い世代に伝えたいこと

Q:最後に、若い世代にメッセージなどはありますか?

高丸:若い方は夢が叶わないと簡単に捨ててしまうんですが、すぐできるのが夢じゃないんです。何十年かかってもいいから、自分の夢を実現できるように、少しずつ前へすすめていくと、いつか叶うことがある。だからみなさん、夢を持ち続けてください。

Q:なんだか勇気が湧いてきました。高丸さん、今日はどうもありがとうございました!

「私は赤と金をよく使いますが、それは、ヨーロッパの影響ではなく、幼い頃に見ていたふるさとのお祭りの山車の色だったことが最近わかったんです」と高丸氏。ただ今、赤と金で、洋に和を取り入れたオブジェを制作中。

「私は赤と金をよく使いますが、それは、ヨーロッパの影響ではなく、幼い頃に見ていたふるさとのお祭りの山車の色だったことが最近わかったんです」と高丸氏。ただ今、赤と金で、洋に和を取り入れたオブジェを制作中。

現在制作中の「願掛け門」につけるデザインについて説明する高丸氏。「現夢(げんむ)鳥居」の文字が描かれています。

現在制作中の「願掛け門」につけるデザインについて説明する高丸氏。「現夢(げんむ)鳥居」の文字が描かれています。

インタビューを終えて…

今後の夢についてうかがったら、いくつも挙げてくださった高丸氏。次から次へと頭の中に浮かんでくるのだと。楽しいのだと。
高丸氏の夢の実現の根底にあるのは、不屈の精神というより、少しずつ変化していく過程を楽しもうとするポジティブさではないか――コーマル城はそんな高丸氏の人生観が反映された作品ではないかと感じました。

コーマル城は美しいお城である以上に、実現可能な夢の象徴であり、新たなモノの見方に気づかせてくれる――そんな人生のヒントになるような場であるのかもしれません。
まだ行ったことがないという方は、この機会にぜひいらしてみてください。

東柏文京公園。長年親しまれた「文京」の名を残すことを高丸氏が提案し、この看板もご自身の手によるもの。公園では毎日、コーマル城をバックに子どもたちが遊ぶ姿が見られます。

東柏文京公園。長年親しまれた「文京」の名を残すことを高丸氏が提案し、この看板もご自身の手によるもの。公園では毎日、コーマル城をバックに子どもたちが遊ぶ姿が見られます。

コーマル城

  • 【住所】千葉県柏市東柏1-21-15 ※バス停「刈込」より徒歩5~6分
    【電話番号】04-7167-5886
    【営業時間】11:00~17:00
    【定休日】火曜日(臨時休館することがあります)

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「ちゃーりんぐ柏」代表石井雅子

柏生まれ柏育ち。編集者・箏(こと)奏者。市民活動家の両親が2015年前後に他界したことをきっかけに、柏に興味を持つようになる。2021年、柏の歴史スポットを自転車で巡る「ちゃーりんぐ柏」プロジェクトを立ち上げ、2022年市民公益活動団体として登録。2023年5月、補助金申請や情報発信、連携などをサポートする中間支援団体「ジセダイ歴史文化継承研究所」を設立、事務局長を務める。

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