【流山】調査!転入1年記念に流山市について調べてみた①

【流山】調査!転入1年記念に流山市について調べてみた①

こんにちは、レモンキャットです。
奇遇にも今日6月30日は、流山市に転入してきてちょうど1年の記念日。

1ヶ月ベビーと3歳児を連れて、車で2日間かけて引っ越してきました。
ありがたいことに「人」に恵まれて、今では毎日とっても楽しく過ごせていますが、
慣れることに必死だった転入直後、大変だった保活なども、今となっては良い笑い話です^^

前々から「流山」って珍しい地名だなって思って気になっていたのですが、
転入して1年のこの期に、大好きな土地「流山」について深掘りしてみました。

山が流れてきたから流山

流山の地名は、その昔、大洪水によって上州赤城山(群馬県)の崩れた土塊が利根川を降って流れ着いて、10mほどの小山になったことから「山が流れてきた」=「流山」という逸話に由来するそうです。


 ※山自体ではなく、赤城山にある赤城神社のお札が流れ着いたからという諸説もあり


山が流れてきたのか、お札が流れてきたのか。どちらが正しいのかは今となってはわかりませんが、大きな注連縄で有名な「赤城神社」流山にとって重要な場所ということは間違いがなさそうです。赤城神社がキニナル...。近々、赤城神社にも足を運んでみたいと思います。

群馬県の赤城神社から流山市の赤城神社までは直線距離おおよそ130km。こんな壮大な距離を流れ着いたなんて、ロマンがありますね!

群馬県の赤城神社から流山市の赤城神社までは直線距離おおよそ130km。こんな壮大な距離を流れ着いたなんて、ロマンがありますね!

明治時代には県庁所在地だった…!

1869年、旧幕府領の管轄のために、明治政府が制定した「葛飾県」。その葛飾県の県庁所在地がここ流山でした。

主に千葉県北西部、埼玉県東部、茨城県西武を管轄としていたそうです。そう考えると、流山は位置的にもほぼ中央。管理しやすい場所にあるので「なるほど!」と納得です。

その後1872年に「印旛県」に名前を変え、1873年に印旛県と木更津県が合併して千葉県が誕生しました。千葉県が誕生するまでの4年間ですが、流山市には県庁が所在していたそうです。

約100年後、市立博物館の開館に伴って、葛飾県と印旛県の県庁が流山市に置かれていた証として、私立博物館横に記念碑が建てられました。

オオタカといえば流山。2018年には市鳥に制定。

準絶滅危惧種である「オオタカ」。


1992年に流山市での繁殖が公表されてからは「市の自然環境の象徴的存在」となっています。


そんな象徴的存在の「オオタカ」は、みなさんご存知の通り、「おおたかの森」をはじめ、多くの地名や施設名に使われるようになったそうです。


それだけ自然が豊かな流山。ご近所のかたが「ここ数年でめっきり見なくなったけど、昔はよく野生のフクロウが鳴いていたんだよ」などと教えてくださいました。開発が進む前は、きっと今以上に自然と人が共存する土地だったんだなと、想いを馳せてしまいました。

マンホールにも描かれているオオタカは、まさに流山の象徴。

マンホールにも描かれているオオタカは、まさに流山の象徴。

まだまだ調べたりない...!深掘り調査は続く...

住んでいる土地のことを調べていくと、「もっと知りたい」「行ってみたい」とさらに興味が増してきました。流山については引き続き調査を進めたいと思います。

この土地には不思議な名前の地名や坂も多いので、少しずつ調べてこちらでシェアしていきたいと思います。

お読みいただきありがとうございました^^!

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ジモトミンレモンキャット

流山2年生。好奇心旺盛で「出かけること」と「食べること」が大好きな2児の母。趣味は写真と鉱物あつめ。新しい土地で出会うワクワクを綴っていきたいと思います。

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